2007年05月

2007年05月06日

音楽療法の授業のひとこま

私が非常勤で受け持っている大学の授業のひとこま。音楽療法3年目のクラス。
そのクラスで、先日、一人一人に、これまでの人生曲線を書いてもらった。
人生のよかったこと、あるいは落ち込んだことも一筆書きにしてもらい、その折々に刺激を受けた音楽や、この音楽に助けられた、という音楽等を書き込んでもらった。
そのクラスのメンバーとは、3年間つき合ってきているので、こういうことを行っても、大丈夫という感覚がある。書いてもらうと、予想以上におもしろい。
一人一人、出会った音楽や、お世話になった音楽がもちろんちがうのだが、発表してもらうと、実に、ウーンとうなずいてしまう内容続出だった。共通のものもいくつか。例えば、♪ジャジャマル~ピッコロ~ポロリ~のニコニコプン。現在大学生の幼児の頃はこれだったんだ。
一人の学生さんが♪涙をこえてをあげていた。これって、私が高校生の時にNHK『ステージ101』で大好きだった曲?!何故?!思わず、その学生さんとさびの部分を熱唱。小学校の先生の選曲とのこと。
私が授業をすすめるより、みんなの発表の方がずっと勉強になる。「この曲に出会わなかったら、今の音大の私はない!」とは、中学の吹奏楽部の演奏♪踊る大捜査線の曲、という一人。ベートーベン聴きたさにラジカセ買うため5歳からお金貯めた人…人生、何が出会いになるかわからない。いい授業だった…自画自賛

2007年05月18日

思い通りいかない子育て その2 母の日の巻

先日の母の日、我が家には鹿児島から私の母(80歳)がきていた。母と私、私と子どもたち3人、と、三世代に渡って母子関係があったせいか、世間で言う母の日のような日となった。つまり、カーネーションが贈られたり、チョコレートが祖母、母、姉に贈られたり。これは、自慢しているのではない。こんなこと、初めてだったから。
去年までの母の日というのは、さんざんな日が多かった。ある時は、「もういい!」と、私が家を飛び出し、自転車で明石公園をうろうろ走らせて、気晴らしをして帰ったり。ある母の日は、感謝のことばをどうにか言わせたいと、あの手この手でもくろむものの、ことごとく失敗に終わり、旦那は、焼鳥屋に一人で食べに行くし、ま、とにかく、さんざんな日の連続であったのだ。八十の母が言う、「3人ともよく育ってるじゃない。」と。これ以上の親孝行はない。娘が孫をよく育てている。まあ、いいかな、と。

と・こ・ろ・が!子育ては本当に思い通りいかない。
その日、旦那が末息子の部屋の押し入れにすのこを敷こうとして、はさみを探した。末息子の机の引き出しを開けてみると、中に、な、なんと、モデルガンが2丁!?そのことを母の日の夜に私に告げた。私は、もう、わなわな、がくがく。何で?
実は小6の時に、すでにモデルガン事件はあり。押し入れを開けると、そこにモデルガン。息子はもうやくざになったのか!?とうろたえた事件が。そのときに、話し合いをして、もう封印したはず。なのに、これはどうしたことか?息子の心にまた、陰がもやもやが差し込んでいるのだろうか、もう、胃のあたりや心臓のあたりがざわざわ。

何ということ!何事も思い通りにはいかない。子どもの心も、まだまだざわざわしていたんだ。
あ~、またまた、どーんと落とされる気分。
みなさま。これが、私の母の日でした。やっぱり一筋縄ではいかない…

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