総体

中学3年生の娘。
今日は、剣道の総体1日目、団体戦。その開会式と閉会式でとても心に残る話を聞いた。

開会式で…「勝っておごらず、負けて悔やまず…」

娘のチームは、決勝戦まで勝ち進み、敗れた。娘が汗と涙を腕でふいている前で、女だけど“男前"の大将が、肩を震わせて涙をこらえていた。娘はその様子を見て、グッときたそうだ

そして、閉会式…「…選手の中には、数十秒で引退を決めた人たちもいたことだろう。しかし、その試合の中で、間合いをとりながら、踏み込んでいく勇気を、それぞれの試合で感じた。ものすごいプレッシャーを感じながら一歩出る、その怖さ。そのプレッシャーとと闘いながら、すすめていく、その過程をみな、経験していっている。皆さんは、これから未来の大人になっていく子どもだ。この経験が、これからの人生にきっとプラスになっていくことと強く思う。…」

日頃、こういう式の話など(失礼)、ありきたりと、聞き流していたのだが、親の私にも娘にもぐっと響いた。

ありがたい。子どもを育てるっていうことは、人生をもう一回、楽しめる。(実は、私、高校のとき、少しだけ剣道部。それは、剣道部にかっこいい人がいて、最初はマネージャーだったのが、もっと近くにいたいなあと思って、女子剣道部を作ったというわけ。動機は不純…)

この娘もおかざき先生にお世話になったなあ、と。感謝。

ちなみに、市の総体の朝の娘と父親の会話。

父、朝早く、もうでかけようとしている娘と息子に
「玄関の教科書片付けろ」(まあ、ごもっともなんですが)
娘と息子「帰ってからやるから。今日、試合!総体やねんで。」
父、無言。
娘「お父さん、『がんばれ。』言いや!!」
父「無理矢理言わすな!!」
ま、このエネルギーで、娘のチーム、優勝。父への気持ちの爆発が功を奏したか?
ありがとう。お父さん。というわけ?

コメント (7)

部活ですごいな!と思うのは、
どんなに一生懸命やっていても、
最後は必ず負けて終わり=引退すること。

区で優勝しても、市で負ける場合もあるし、運よく市で優勝しても総体ではたった一校しか
優勝できない。

残りは全部負けて終わり。

後藤先生のお嬢様、総体まで行かれたって、すごいことだけれど

完全燃焼?
いえ、もっともっとああすれば、こうすればって悔しさ
全てが終わったことへの安堵
そしてかすかな痛み

涙と感動 いろんな感情が綯い交ぜになり

一つ一つの体験が心と身体を鍛え、次への原動力になる。

子どもたちって、本当にすごい体験をしている!

後藤浩子:

おかざき先生、名言!
「部活ですごいな!と思うのは、どんなに一生懸命やっていても、
最後は必ず負けて終わり=引退すること。」って、ほんとうに名言ですね。
ほんとうにそう。

私の中学時代の引退は、合唱部の県大会で2位の時点。泣きに泣いて、泣いて泣いて…。世の中の非情を感じた程。あの時、これ以上の悔しさはないと思ったなあ。

娘は、東播大会で個人もどうにかこうにかベスト8に残ったので、泣きはお預け。
男女とも皆で今週末の県大会へ。

目標は、山形での全国大会で、さくらんぼを喰らうことだそう。喰らうのはさくらんぼ?涙?
ほんとうに心も身体も鍛えられているのを実感。ありがたい。

K.I.:

娘は箏曲部でしたし、コンクール等ありませんでしたので、文化祭で演奏するのが目標で、勝ち負けはありませんでしたが、かなりの達成感で、引退式の涙となったようです。

それでも後で演奏を録音で聞き返せば、もう少しこうすれば良かったと思う点も多々あった様です。

部活はきっぱりと引退せざるを得ないところが辛くもあるようです。青春の良い思い出になるのでしょうね。

後藤先生、KI様、

子どもたちの学校生活、部活、
試合、その一つ一つが 母や父の青春の日々、笑いや涙、多くの感動に連れて帰ってくれて....

子育てを通して、私たちは自分の人生のやり直しや 自分自身の育て直しをしているのかも(^-^)/~

臨床哲学者(りんてつ):

お父さんとしては一言。

注>チョットひねくれます。

自分の息子が「今日は試合あるから、片付けは帰ってからにする」といったら、ぶち殴ってでもかならず片付けをしなければでかけられないようにしたでしょうな。
なぜなら、「片付け」は先に決定されていた我が家の律、と解釈されるからです。
試合は息子の都合であり、それは我が家の既定の律とは無関係である。
そんなことを遵守できないようなものが、「闘って克つ」などというほうがおこがましい。

私本人はブカツには抜きがたいコンプレックスを持っています。
所属していた高校ブラスバンド部が、県のコンクールで史上はじめて入賞「銀賞」をとったとき、私は自宅にいて受験勉強をしていましたから。
かつての部員が電話を控えめにかけてくれまして、「銀賞、とったよ」
「そう」
とだけ。
甲子園にいけるヤツだけではない。
その代わりに受験勉強を選んだものもいれば、挫折して別の道をすすもうとあがいているものもいる。
自分の今いる位置は、自分がそう選んだ結果である。
自分とは違う選択をした、かつて仲間と呼んだ連中が手にした、決して自分のものにはならない栄光について。

ふん、それがナンボのもんじゃ、オレはオレじゃ、と、何十年自分に言い聞かせつつ。

まして、自分の血を分けた子弟が、なんらかの戦いを行っているとき、それが自分の人生の追体験になるなど、もってのほか、ではないか。
子は、子である。彼は彼の戦いを闘う。私の戦いは別にある。
彼が勝ったら、賞賛しよう。
「私の」ではない、彼の彼だけの、彼自身の勝利について、賞賛し、あるいは嫉妬しよう、自分には得られなかったのだ、と。

部活、バンザイ。
でも、受験もバンザイ。
帰宅部で、Net小説で芥川賞、これもバンザイ。
バイトあけくれ、家計の足し、バンザイ。

間違いなく「私」が「私」で、「息子」が「息子」であるならば、
おのおの独立的に個別の生を生きているなら。

なんの、息子の学生生活に自身の姿をだぶらせるなどという醜態を、まだまださらすほど年寄りではないっ!。
この知と情と判断と計算と経験と感情と・・・この「わたくし」意識の働きの速さ確実さにおいて、なんの、息子の後塵を拝するなど。

息子の人生で自分が生き直す?、チャンチャラおかしいわ。ぜ~ったい、死ぬまで、息子の先の先を走りぬてやりますて。

それ、としよりのひやみずっていうんちゃう?、と・・・息子にいわれそうですがね。

後藤浩子:

りんてつさんへ

そうかあ。おもしろい!!そんな考え方もできるのかと、納得した次第。

私も、他の人の話として、【玄関の教科書片付けせずに、言われてむっとする子ども】の話聞いたら、絶対片付けさせてから行かせるのが筋だと、思うだろうなあ。

なのに、我が子に甘いんだなあ。「ここで、変にキレたりないでほしい」、「心乱さずに行ってほしい」と、そんなふうに思うバカ母ダメ母なんだなあ。

ウーム。りんてつさんの文章読んで、何回か読んでいる内にやっと気づいたというところ。

私は世界で2番目に子どもに甘い母かもしれない。

臨床哲学者(りんてつ):

こんばんは、今夜は前ほどヒネクレてませんが。

このブログを紹介して、「総体」のやりとりをわがパートナーに読んでもらって感想を聞きました。
その妻のいわく・・・

「ふっふっふ、あなたらしいわ。でもねぇ、とーちゃん。母親ってのは、あんたらしがないとーちゃんたちと違って・・・」
ここでドン、と胸を叩き、
「子どもらとはへその緒でつながってんのよっ。」

父の負け、ですな。
でも、後藤先生んちのお父さんにお伝えくださいね、お互い、非力ながらがんばりませう、って・・・(・・")M

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