2007年07月

2007年07月08日

西宮音楽療法研究会御礼(^-^)

今日、西宮音楽療法研究会の臨床心理学講座を担当させていだきました。
貴重な日曜日、しかも正味5時間の集中講義に、30名の方が参加してくださいました。

片道2時間を越える距離をいつも参加してくださる数名の方々、
9名ほどは今日が始めてのご参加とのこと
中には音楽がお好きなKIさんや 後藤先生のお姿も!

10時に 「翼をください」の曲をみんなで手話をしながら歌ってスタート(^-^)
Mさん、ご準備、ありがとうございました(^-^)
いつも感じるんですけれど、音楽療法の方々って、
さすがのハーモニーで 
心地よい歌声でスタートする会は、なんともいえず幸せな気分になります(*^^*)

今日は「療法(心理と音楽)とは何か。」と「性格論」を中心に
当初は6時間の長丁場、持つだろうかとの懸念もあったのですが、
皆さん、熱心に聴いてくださり、気付くとアッという間に夕方の4時 

皆様、お疲れは出られませんでした?

私はおかげさまで、とても良い時間を過ごすことが出来ました。
主催者の河端様、役員の皆様、そして参加くださった方々、
本当にありがとうございました(^-^)/~


続きを読む "西宮音楽療法研究会御礼(^-^)" »

2007年07月12日

小さなお母さん

中学生のA子は 愛くるしい眼差しとすらりと伸びた手脚を持つ
運動神経抜群の少女だった。

過酷な家庭背景を背負ってはいたが、勉強も運動もけなげに頑張る
けれど時々一杯一杯になるようで、保健室の常連だった。

週1しか登校しないスクールカウンセラーの私にも 親和性を感じたのか、
放課後、よく相談室に入ってきた。

ある短縮授業の放課後、数人の女生徒が集まってパズルをしながら取り留めない
お喋りに花が咲き始めた。

「お昼は?」 と尋ねると
お弁当を持ってきている子、家に帰って、という子に交じって
「今日、何にも用意して来なかった」とA子が言った。

遠慮するA子ともう一人のために 昼食を用意した。

おにぎり、お寿司、そして近くのお惣菜屋さんで買い求めたおかず色々と
温かい飲み物

包みを開くと、子どもたちは歓声をあげて食べ始めた。
A子は 嬉しそうにおにぎりを一個取り、
「私、これ食べても良い?」と もう一人の友人、
お弁当を持ってきていた友達にも尋ねた。

おかずのお皿をA子のほうへ置くと、真ん中に移し、
「だってね、みんなが届かへんから」

本当に美味しそうに嬉しそうに食べた。 
そして必ず食べる前に、「これ、食べても良い?」と周りに尋ねた。

A子が 家の食卓で、どんな風に気を遣い、遠慮がちにお箸を伸ばしているのか、
目に浮かぶようだった。
自分より先に弟たちの食欲を満たすことを考えているのか、
時には母から叱責が飛ぶのかもしれなかった。

A子の鞄は驚くほど軽かった。
「家に勉強道具を持って帰っても、勉強させてもらえへんねん」
家では 兄弟の世話、家事が中学生のA子の肩にかかっているらしかった。
弟の勉強もみてやっていたようだった。


家庭背景が過酷なとき、時には反社会的言動につながる子どもがいる
でも 関わらせてもらった学校で、けなげに頑張る数人の
子どもたちにも出会った。

時には寂しさから道をそれることもあるけれど、けなげに勉強も運動も
そして家事全般、弟の世話も頑張る「小さなお母さん」

せめて、この子たちの未来が良いものになるように、
夢がかなうように、週1のSCとして一生懸命応援したいと思っている。

続きを読む "小さなお母さん" »

2007年07月15日

ADHD?

「うちの子どもって ADなんとかでは?」
「ジャイアン・のび太症候群を読むと、全部当てはまるんです」などの ご相談を受けることがあります。

ADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder) 注意欠陥多動障害って病態です。

ジャイアン・のび太のネーミングがあまりにフィットし、
子ども、特に子育てが思い通りにいかないお母様、お父様にとって、
子どもが病気であると診断されると非常に腑に落ちるため
一人歩きしているようですね。

医師によって 正式に診断されると、リタリンという薬を処方される場合もあります。
これが実は覚醒剤の一種。完全に毒をもって毒を制す

そういう私は 紛れもなく 注意欠陥人間!
さすがにこの年になると多動は なくなった?と思います。
身が重くなったので、軽快に動けなくなっただけかも(^ ^;

今でも、整理しても一日で机の上が満杯、 
昔は、母によく 姉が消しゴムを一つ使う間に、
私は3個くらい なくしたり、削ったり、無駄にして使ってしまうと叱られたものです。

でもその通り!
落し物はしょっちゅう

一番ひどかったのは、終業式に 成績票を見ながら帰っていて、
帰宅後、母から一言、学校から電話
通信簿を落としてきた!!!  通りすがりの方に拾われ、学校へ届けられていた

赤っ恥ものです。

最近も大学から電話
「先生、ノート お忘れではありませんか?」

研究室の助手さんのところへノートが届けられ、
「学生の忘れものだと思うから、そのまま教室に置いといて」と言ったところ、
学生が「どうも、先生のみたいなんです。 給与明細がはさんであったので」

ああ、恥ずかしい! 
学生に薄給を知られてしまった(^ ^;

予定を勘違いし、
間違った日に間違った場所へ出かけたこともたびたび...。

今はPDA(Palm)によるスケジュール管理と 大きなウォールポケット(1月~12月までのポケットつき)によって、ほとんどスケジュールの落としはなくなったと思っています(^ ^;
ここまで来るの、本当に大変でした。

さっき置いたもの、あるはずの物が一人歩き?、行方不明になり、
探し物で大事な時間がどんどん減っていくって、しょっちゅう!

周りにどんなことでも整理整頓、なんでもきっちりこなす人がいます。
ちょっとあれ貸して、って頼むとサッと出てくる人たち
いわゆるA型性格!

あのきっちりさ、正確無比は 驚嘆ものです。

悩める親御様方、 もう少しの辛抱です。
どうしても必要になると 子どもは工夫を始めます

こんな私でも 子どもを置き忘れることなく二人育て、
家事をそこそここなし、仕事もそれなり?にしているのですから、

あ、何の慰めにもならない(^-^)/~

続きを読む "ADHD?" »

2007年07月22日

教師冥利!

7月末、大学前期の終盤、

成績をつけるためにも
毎年 学生さんたちには 研究課題として、
臨床心理学、発達などの関連書研究、そしてそれ関連の音楽発表をしてもらうことにしている。

後半の音楽発表は、私の希望、

ピアノや管楽器の素晴らしい演奏はもちろん、
楽しい打楽器や全員での合奏
学生にしてプロのテノール歌手がオペラやカンツォーネを歌ってくれたことも。

要するに役得 そして耳福! 

普段からコツコツとピアノの練習などに励む 音楽学部の学生は
基本的に真面目な人たちなのだが、
読書に親しんでいない場合が少なくない

時間がないだけ、馴染んでいないだけなので、
読書の豊かさ、そこから広がる芳醇な世界への扉を開いてあげたいと思う

今日は今年の一回目
音楽療法コースのせいか、学生は自閉症などの手記を読んで発表する子が多いのだけれど、
発表もなかなか、良かった

生の演奏
一人は 「旅立ちの日」に を選んで みんなに歌って欲しいと言って素晴らしい伴奏をした
一人は「リストの愛の夢 第3番」  難しい曲を華麗に弾きあげた。

そしてもう一人は、頼藤和寛さんの「正しく悩む」から宇宙療法などを紹介したあとで
教室中のカーテンを全て引き、灯りを落とすと
自宅から大切そうに抱えてきた何かを机上に置いた。


瞬く間に教室の天井に星空が広がった!

工作の好きな彼女は、光の異なる2個の懐中電灯にたくさんの穴を開けたカバーを被せて
簡易プラネタリュームを作りあげていた

色の違いによって、明るい星、赤めや黄色めの星も眺めることが出来る
星座も見つけ出せそう!

そして静かにピアノを弾き始めた、
「ドビッシーの子どもの領分から 小さな羊飼い」と「見上げてご覧 夜の星を」をアレンジした曲

至福の時間が流れた

学生の豊かさにまたまた脱帽!

続きを読む "教師冥利!" »

2007年07月31日

りんてつさんから マニュアルの時代

本ブログでおなじみの論客
類まれな知性と温かいハート、ユーモアたっぶりのりんてつさんから 数編の文章が届きました。
少しずつアップさせていただきますので、また皆様、感想など よろしく(^-^)/~

注 文字量が多かったので、読みやすいように一部改行スペースを勝手につくりました。
>りんてつさん、もし戻したほうがよければ、ご連絡くださいね(^-^)/~


マニュアルの時代


本屋の店頭にとある教育雑誌が積んであって、それを手にとったら「お父さんの家庭力」とかいう記事がのっていた。
いわく、家族相手にプレゼンテーションする父親、週末は大学時代の仲間と子連れ登山する父親、娘の部活をビデオ指導する経営のプロ、昔話を上手に話す父親・・・等々である。もちろん店頭で爆笑し、周囲の顰蹙を買った。つまり、夜な夜なエラそうな顔をして何かを息子たちに語り、提示しつつ、休みには休みで山だの川だのに連れ出し、へたな飯ごうメシでも炊いてみせ、子供の部活にはしたり顔でビデオ指導する・・・そういう父親にはいい子が育つそうである。

子供にとって「良い親」とは。子供にとって「良い家庭」とは。「良いクラス」「良い友達のつくりかた」「良い塾の選び方」に「良い進学」「良い本」「良い音楽」「良い観劇」に「良い食べ物」。・・・おそらく探せば「子供に良い息のしかた」までどこかに書いてあるに違いない。昨今の親子は呼吸のしかたまで誰かの書いたマニュアルにしたがって生き延びなければならないのだ。ご苦労なことである。これら「子育てマニュアル」全盛の社会に、いくつかの次元(ディメンジョン)で反論を試みよう。

<第1:検証性として>このように市販されるマニュアルは、いわば個々のCaseを挙げて、それをもとに一般的命題~「話が上手な父親のところには良い子が育つ」、など~を述べているに過ぎない。それは「成功例」を挙げているのみであって、いわゆる科学的根拠などはない。それは、健康食品か民間療法と同じで、はっきりと科学的に検証されているものではない。「私はコレで、10kg痩せました」という広告と同レベルである。本当にその命題を検証するためには、子供たちを無作為にふたつのグループに分け、それぞれを「話のうまい」父親群と「話はそれほどうまくない」父親群とで、相互に独立にかつ他の一切の条件(母親のでき、家庭生活、勉強時間、栄養状態、教師の質、出合う本やメディア、経済状態、そのほか一切)を同じとして、一定期間育ててみて、各々の群の子供が「良い」かそうでないかを客観化できる尺度で持って評価してみなければならない。このような「真実にせまるための」科学論が、子育てにとってはいかにばかげているかは、論議するまでもないだろう。ならば、せめてそういうものによってすら評価もされていないようなマニュアルに、「効果がある」、などといったいどうして信じられるのか。

<第2:方法論として>よしんば、ここにある「やり方(マニュアル)」が、確かに明らかに誰か良い子を育てるのに成功したとしよう。しかしそれがほかならぬわが子にも当てはまると、どうしてそう素直に信じ込めるのであろうか。枚挙的帰納法という近代科学の基本となる発想は、もちろん古代からあったが、これを定式化したのはフランシス・ベーコンである。その考え方とは、できるだけ明らかな形式で経験を重ね、充分否定的なことを試みた上に構成される一般命題は真実とみなしうる、というものだ。近代科学、ひいてはこのマニュアルというものの存在の裏づけになっているのはまさにこの経験論的帰納法なのであり、前段で述べたばかばかしい検証方法というものも、実はこの発想による。しかし・・・いまや科学の世界でも、枚挙的帰納法だけで世界の真実は知れない、という考えのほうが一般的である(ゲーデル・ハイゼンベルグ・チューリングなどを参照)。つまり・・・たとえ100羽のカラスの観察方法が正しく「黒」という回答を持っていたとしても(第1の点を満足させていたとしても)、101羽めのカラスもまた黒い、という証拠にはならないのである。あなたの子供は白いカラスという、まことに個性的な子供かもしれないのだ。

<第3:言語意味論的に>あるいは、そのマニュアル(子育て方法)が、上記1、2をクリアし、本当にこの世の真実を伝えていたと仮定しよう。その本を読ませれば、そのように語りかければ、そのような絵や歌を聞かせれば、間違いなく「良い子」になる、というようなパーフェクトなマニュアルが存在するとしよう。しかし、それでも、である。それでは「それ」が「良い」子である、と、いったいどこの誰がどうやって評価するのか?。親にとって?、教師にとって?、国家にとって?。そう、かつての国民学校や兵舎は実にすぐれたマニュアルをもっており、みなを「良き天皇陛下の新兵」に育て上げた。そして、多くの若者が従容として爆弾を抱き敵艦船に自爆攻撃を行ったのである。ああ、そういえば、最近のとある宗教の原理主義者たちも、同じようにその宗派にとって良い子を育成するのに大成功しているようで、自爆テロがあとを絶たぬ。・・・・そんなのと子育てとを一緒にするな、といわれるか。では、そのように育てるのと世間的・教育産業的「良い子」を育てようとすることと、いったいどこがどう違っているのか説明して欲しいものだ。

<第4:実存的に>そうだ、この世に一般的な「良い子」などというものなど存在しないし、一般的に「良い方法」など在りはしないのだ。おそらくここに存在するのは「幸福に生きている子」・「人」かどうか、という内的基準のみである。そんなことは実は親や教師の、あるいは赤の他人の知ったことではない、といっても過言ではない。勉強をサボってみるマンガのあの極上の快感はどうか。仕事が残っているのについ座り込んでみてしまう映画、明日の仕事はほっといて、今眼の前にあるご馳走に酔いしれるこの幸福。どうしても見てみたかった建物・自然などを眼前にしたときの満足感・・・。この圧倒的な幸福感を前に、誰かが「それはお金の無駄遣い、もっと賢い生き方をしなさい、ホラ、このマニュアルにしたがって・・・」などといおうものなら、棒をもってきてゴーンっと・・・思うのは私だけか?。自分にとって、あるいは自分と親、自分と子たちを含めた「我々」が「良い」状態であるかどうかなど、他人に決められる筋合いのものではない。我が子が良い子かどうか、など、なぜ、こんな一編の雑誌の記者や教育評論家、政治家、役人などに決めてもらう必要があるのか。


子供というものは、はかりしれない「潜在力の塊」(L.M.モンゴリー)である。その人生も幸福も無限の可能性をもっている。マニュアルに従うというのは、それを予め少数の限られた経験によって打ち出された鋳型にはめ込もうとすることに他ならない。したがって、「良い子」に育てるために、唯一可能で有効な「マニュアル」とは、ただ1つである。すなわち・・・・・・「ありとあらゆる手引き取り説を捨てよ」!!。

続きを読む "りんてつさんから マニュアルの時代" »

« 2007年06月 | TOP | 2007年08月 »