傍らにいる存在としてのSC
神戸市教委の委員をいくつか兼務しています。
生徒指導という冊子への原稿依頼を受けました。
ここにもアップしてみますので、
もしよければ感想をお願いします。
約2300字です。
子ども、保護者、教職員とともに---傍らにいる存在としてのSC
学校は子どもが学び育つ場所。
発展途上の子どもは、学びの場で仲間と共に身体を鍛え、頭脳を鍛え、精神力、道徳観、倫理観、感性、そして世界観を涵養する。
万葉集の大伴家持の和歌「銀も 黄金も玉も なにせむに 優れる宝 子にしかめやも」 を引くまでもなく、日本文化は子どもを大切に慈しんできた。
また資源のない我が国にとって人こそが財産、勤勉性が日本人の誇るべき資質、
学校はその最前線を担ってきた。
しかし学校は社会の縮図でもある。
都市化、少子化、大衆消費文化、ITに象徴される情報化、景気などの様々な影響を受ける。
活用できれば宝庫だが、危険な落とし穴も開いている。
だからこそ子どもに善悪を見分ける目と、自立、自律(セルフコントロール)の力をつけなければならない。
歩き始めた子どもが、つまずいたりこけたりしながら、上手に走るようになるように、学び舎の子どもたちは、時には間違いを犯すし、失敗もする。エネルギーの塊の子どもたちは特に大きくこける。
子どもの問題はご家庭がよく機能すれば大半が片付く。
そして学校が適切に関われれば、マイナスの出来事でさえ成長につながる場合が多い。
ただ高機能なパソコンも時々フリーズするように、専門家の助けが必要となる場合もある。
こじれた問題を整理し、良い方向への道筋を探り、手立てを講じること、スクールカウンセラー(以下SCと略す)の主たる任務はこの微調整につきる。裏方の仕事。
教育の場が良く機能していくために、静謐な秩序が必要。
しかし不祥事が起こるたびにマスコミは全体の資質の問題のように書き立てる。
学校の権威は地に落ち、教育の場が混乱する。子どもや親が尊敬しなくなった学校はもろい。
学校の緊急支援に何度か関わったことがある。
ある若い教員が起こした犯罪は想像を超え、関係者は呆然自失、学校機能は麻痺した。
管理職と教育委員会から請われた私は、教職員研修と保護者説明会の場に立ち会った。
子どもたちが受けたであろう心的外傷や考えうる反応の説明をした後、以下のように続けた。
「子どもたちは自分の大事な先生が犯した出来事にひどくショックを受けています。
保護者の皆様も驚き、学校への不信を抱えていらっしゃることでしょう。
どんなことでも承ります。どうぞ遠慮なくお伝え下さい。
ただ、今の緊急課題は大人不信に陥っているかもしれない子どもたちをどう支えるかです。
起こってしまったことをなかったことにしたり、蓋をすることは出来ません。
でも物事が起こったときは動くときです。良くも悪くも変わります。どうせなら良く変わらせたい。
人間不信、大人不信に陥っているかもしれない子どもたちに、信用できる大人もいると分かってもらうこと、そして学びの場としての学校の機能を速やかに回復させることです。
充実した楽しい時間は、子どもたちを回復させます。
そのためにご家庭の協力が欠かせません。
学校ではSCや他の専門家も協力し、必要な手立てを講じていきます。
ご家庭でもそれぞれの子どもをよく観察し支えてやってください。
学校も頑張りますので、ご家庭の協力をよろしくお願いします。」
当初、当惑気味に集まっておられた保護者の視線が集まり、SCとしての私の言葉に何度もうなずき、
次第に姿勢がまっすぐになってきたと感じられた。
1年後校長先生から、この後、保護者や地域の方から援助の申し出があいつぎ、
自発的な見回り隊も組織され、速やかな回復が図れたとうかがった。
しんどい地域のSCをしたことがある。
不在がちな親、用意されていない食事、さびしい子どもは仲間を求めて夜の街を彷徨い、
誘惑に負ける。
鑑別所や少年院に収容された子どもたちがいた。
卒業を前に先生が生徒を貰い受けてこられた。
「こいつの母校はここしかない。卒業式に出してやりたい」
卒業式の前日、その一人と出会った。
「卒業、おめでとう」と声をかけた私に、彼はぼそりと
「先生、俺、ほんまに卒業するのかな?」
びっくりして尋ねた「明日、卒業式でしょう?」
すると、彼は「あのな、毎日、毎日、面白おかしく過ごしてた。
こんな日々がずっと続くと思ってた。でも卒業式って言われた。
俺、まだ中学生らしいこと、何もしていない。」
SC「じゃあ、何がしたいの?」
彼「普通の中学生のような生活がしたいねん。勉強や部活。クラスの友達とも遊びたいねん」
思わず、胸が熱くなった。
鑑別所で規則正しい生活、三度の食事をきっちり食べさせてもらった彼は、体調がよくなるとともに、朝、起床できることに気づいた。
学校生活が送れる自信がついたという。
こんな素晴らしい話をSCの口から伝えるのはもったいない。彼に
「担任はすごく喜んでくださると思うよ。自分で言える?」
と尋ねると、笑顔でうなずいた。
後に聞いたところでは、全寮制の高校へ進学が決まったという。
子どもは未来からの贈り物。
私たちの将来の健全な社会はこの子達の肩にかかっている。
学校の主人公は子ども、そして大切な構成員は教職員、それにご家庭。
伸びていく子どもにとって、教師は目の前にいる大事な大人である。
優れた出会いは後々の糧になる。
吉田松陰が松下村塾で教えたのは約2年。明治維新を支えた志士が輩出した。
クラーク博士が札幌農学校に在籍したのは半年。
Boys be ambitious! の薫陶を受け多くの若者が世界に雄飛した。
卒業式の時期、多くの子どもたちがその日々を懐かしみ、そして感謝の言葉とともに巣立っていく。
子どもにとって学校は母校、そして母港である。
そこには先生がたの温かい笑顔がある。
SCは学校現場において傍らにいるものに過ぎない。
異分子の存在。
けれどもいつも子どもたちへの眼差しを注ぎながら、微調整の役割をやり遂げたいと思う。