四川から戻りました

四川、
8日夜11時過ぎ、中国四川から無事自宅へ戻りました。

8日間の重慶、成都での体験はとても大きく、まだ言葉にまとめられません。
特に重慶では朝8時半から夜の9時半まで
ほとんど研修、研修で
(ボスには サマリーを至急と要求されていますが(^-^;)

人口が10倍、国土も大きく、
結果、被害も阪神淡路大震災の約10倍 死者がほぼ7万
 まだ行方不明の方も2万人近く

阪神のときには個別の名前で上がりましたが、中国はどうなんだろう?
数でしか上がってきていないみたい

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重慶では西南大学で3日間 大学関係者、被災地の教員、そしてボランティアへ
心理援助の様々な研修
夜には 1日目は重慶の病院からの心理・医師たちへの研修
2日目は重慶精神病院へ出向き、50名近い医師・心理士、ナースへの
Q&A スーパーバイズを担当しました。
皆さん、とっても熱心で、私語もなく、席も前から埋まり、
質問も次々とでて
支援への熱意、how toを習得したい、より良い支援をしたいとの
熱い思いが伝わる時間でした。

一番印象的だったのは、
後方支援地としての重慶、成都という土地柄、
重症者は搬送できず、軽症者は現地でケアできるので
関わる必要があるのは、手足切断、なんらかの身体的負荷を負った方々
それも半端ではない数

そして学校が壊れてしまい、行き場を失った子どもたち
これは学校単位で、病院や施設を仮の宿として

真っ赤な横断幕に それぞれの地区の名前と 第○中学の子どもたちがここにいます
という表示があふれていました。

メインは喪失体験
親を亡くし、親族を亡くし、家を失くし、四肢を失くし、

質問の一つに、
「親族が被害に合いました。家も 周囲も壊れました。
(政府の施策によって?) 元の場所に戻ることが出来ません。
私たちは全員 他の場所に移動するように言われました」
移動する人間は 兵庫県規模のようでした。
その女性は会場に座っているときから、表情がずっと険しく暗く、
全身から悲しみがあふれ出しているようでした。

長岡からの織田嶋先生は山古志村のケース
コミュニティが一団となって 同じ地域に移住する方法を提示して
いらっしゃいましたが、
私は話を聴きながら、県外被災者を思い出し、
涙を流すしかありませんでした。

四川の被災地は少数民族が多く居住していた地域で
移住により、固有の地縁や文化が崩れ去っていく可能性があります。

無力を感じました。

「変えられることと、変えられないことを識別しましょう。
もし一緒に元の故郷へ戻ることが可能なら、
そうして欲しいなら声をあげましょう。
もしそれが不可能なら次善の策として、一緒に一団として移動する提案をしましょう。
それも無理なら お便りやお知らせでつながりを確認し続けましょう」

そんな提案しか出来ませんでした。

支援者は往々にして無力です。
でも 師の一人である中井久夫はBeingすること、傍に寄りそうことの大切さを
説きました。

会が終わったあと、その女性は
「友が来て、私たちのために一生懸命 助けようとしてくれていること
そして一緒に涙を流してくれることに慰められました。」と握手とハグをしてくれました。


西南大学の最後のセッション 日中米合同シンポの折り、
「支援の方法としての文化差」のトピックスで、
我が隊長 冨永良喜先生が
「確かに文化の違いがありますが、
それ以上に人間としてシェアできる悲しみ、悼み、
それを支えていこうとする熱意、そこに同質性を感じました。
私たちは中長期的に支援していきたいと思います」という
言葉の重さと深さに共感しました。


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コメント (5)

お疲れ様でした。
拝読していて、なぜか涙が止まりませんでした。

孤立感というか、しんどいのは自分(達)だけだと感じてしまうと、しんどい気持ちが一層際立ってしまう気がします。
>「友が来て、私たちのために一生懸命 助けようとしてくれていること
>そして一緒に涙を流してくれることに慰められました。」
とおっしゃった方や、その方がサポートしていく方々は、もうすでに一人じゃない、それが嬉しいです。

言葉足らずですみません。。。
なんか私がこういうこと言うのも変ですけど、ありがとうございました。^^

後藤浩子:

おかざき先生、お帰りなさい!!
尊いお仕事を全身全霊をかけてされ、そして無事、お帰りになって、ほんとうにお疲れ様でした。
おかざき先生にハグなさった女性、絶望の中から、一人じゃない、友がいる、と思われたなんて、ほんとうにすごいことと思いました。
はざやさんじゃないけれど、ほんとうにありがとうございました。
お疲れが充分とれますように。

石川かおり:

お疲れ様でした。
暑い中、ハードなスケジュールをこなされ、無事にお帰りになって良かったです。

国や言葉が違っても、家族や友人に対する思いは共通ですし、たくさんの方に喜んでいただけたようで良かったですね。

通りすがり:

現地の方への支援、大変お疲れ様でした。

ご自身の活動が被災された多くの方の癒しになり、また、神戸の時の多くの仲間の奮闘を伝える活動になり、またご自身にも新たな気づきがあったものと拝察します。

自分自身も、あの頃の人々のことや、県外での集まりで出会った方々のことを新たに反芻いたしました。

こころから敬意を表します。

はざや様、後藤先生、石川様、通りすがり様、
コメント、ありがとうございました。温かい思いのこもった
言葉 慰められました。

あの地の人々と顔のみえる関係になれたことは 私にとっても
貴重な体験でした。

まだ 時々感情失禁が起こりますが間遠くなり、
雑踏のざわめきが中国語に聞こえるのは収束しました。

ただ、私の手帳に記念日(5.12 14時28分)が、また増えてしまいました。

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