子育て

2007年05月12日

自然は癒す力を持っている

風薫る5月、新緑はまぶしく、花々は咲き誇り、

先日、久しぶりの山登り、飯盒炊爨に参加してきました。
スクールカウンセラーとして関わっている小学校の一年生歓迎行事です。

学校から 隊列をなして歩くとき、6年生は1,2年生を気をつけてみるように言われていたようです。
普段はやんちゃをしたり、指示を聞けない子どもたちも、車道では下級生をサッと庇ったり、
信号では「ちゃんと付いてきてね」と決め細やかな配慮
よく見ると 子どもたち 一人ひとりに役割分担があり、
ある者は飯盒、ある者は新聞紙、水、あるいは薪を持っています。

目的地に到着!
6年生の班長たちはそれぞれの場所を決めると、大きな石を拾い集め、かまどを作り始めました。
器用に石を積み上げていきます。
要領が得ない私が手伝うと、一箇所、口をあけておかなきゃとか
教えてくれます。

その後、地面を少し掘り、そこへ新聞、牛乳パックの切れ端を敷き、薪を組んでいきます。

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2007年06月30日

私が一番!

子どもたちのご相談を受けていて
あるいは 保護者のご相談の中でも、
不登校やいじめや その他、たくさんの問題行動から、子どもたちが回復するとき、

「(この分野なら) 私が一番!」って いう言葉をよく耳にします。

プールが始まった時期
長らく休んでいた子が、 「今でも○○中では、僕が水泳は一番違うか?」
と登校への意欲を見せたり、

「将棋だけは負けへん」
あるいは
「本だけはたくさん読んでる」

自分が大丈夫と思える部分があるって とても大事なこと

学校へ行かないことは やはり普通から外れていて、
その外れているという部分で
子どもなりに大変な思いをしている
場合によっては傷ついているように感じます。

得意な分野があると 
そこを梃子にして(傷つき少なく)勝負に出られるように思う

思い返すと、
「僕は給食を食べるのが一番早い」
「休み時間に最初に運動場へ飛び出せる」
いろんなケースがありましたね(^-^)

どんなことでも良い!
その子、一人ひとりの良い特長を見つけてやりませんか!


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2007年07月15日

ADHD?

「うちの子どもって ADなんとかでは?」
「ジャイアン・のび太症候群を読むと、全部当てはまるんです」などの ご相談を受けることがあります。

ADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder) 注意欠陥多動障害って病態です。

ジャイアン・のび太のネーミングがあまりにフィットし、
子ども、特に子育てが思い通りにいかないお母様、お父様にとって、
子どもが病気であると診断されると非常に腑に落ちるため
一人歩きしているようですね。

医師によって 正式に診断されると、リタリンという薬を処方される場合もあります。
これが実は覚醒剤の一種。完全に毒をもって毒を制す

そういう私は 紛れもなく 注意欠陥人間!
さすがにこの年になると多動は なくなった?と思います。
身が重くなったので、軽快に動けなくなっただけかも(^ ^;

今でも、整理しても一日で机の上が満杯、 
昔は、母によく 姉が消しゴムを一つ使う間に、
私は3個くらい なくしたり、削ったり、無駄にして使ってしまうと叱られたものです。

でもその通り!
落し物はしょっちゅう

一番ひどかったのは、終業式に 成績票を見ながら帰っていて、
帰宅後、母から一言、学校から電話
通信簿を落としてきた!!!  通りすがりの方に拾われ、学校へ届けられていた

赤っ恥ものです。

最近も大学から電話
「先生、ノート お忘れではありませんか?」

研究室の助手さんのところへノートが届けられ、
「学生の忘れものだと思うから、そのまま教室に置いといて」と言ったところ、
学生が「どうも、先生のみたいなんです。 給与明細がはさんであったので」

ああ、恥ずかしい! 
学生に薄給を知られてしまった(^ ^;

予定を勘違いし、
間違った日に間違った場所へ出かけたこともたびたび...。

今はPDA(Palm)によるスケジュール管理と 大きなウォールポケット(1月~12月までのポケットつき)によって、ほとんどスケジュールの落としはなくなったと思っています(^ ^;
ここまで来るの、本当に大変でした。

さっき置いたもの、あるはずの物が一人歩き?、行方不明になり、
探し物で大事な時間がどんどん減っていくって、しょっちゅう!

周りにどんなことでも整理整頓、なんでもきっちりこなす人がいます。
ちょっとあれ貸して、って頼むとサッと出てくる人たち
いわゆるA型性格!

あのきっちりさ、正確無比は 驚嘆ものです。

悩める親御様方、 もう少しの辛抱です。
どうしても必要になると 子どもは工夫を始めます

こんな私でも 子どもを置き忘れることなく二人育て、
家事をそこそここなし、仕事もそれなり?にしているのですから、

あ、何の慰めにもならない(^-^)/~

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2007年07月31日

りんてつさんから マニュアルの時代

本ブログでおなじみの論客
類まれな知性と温かいハート、ユーモアたっぶりのりんてつさんから 数編の文章が届きました。
少しずつアップさせていただきますので、また皆様、感想など よろしく(^-^)/~

注 文字量が多かったので、読みやすいように一部改行スペースを勝手につくりました。
>りんてつさん、もし戻したほうがよければ、ご連絡くださいね(^-^)/~


マニュアルの時代


本屋の店頭にとある教育雑誌が積んであって、それを手にとったら「お父さんの家庭力」とかいう記事がのっていた。
いわく、家族相手にプレゼンテーションする父親、週末は大学時代の仲間と子連れ登山する父親、娘の部活をビデオ指導する経営のプロ、昔話を上手に話す父親・・・等々である。もちろん店頭で爆笑し、周囲の顰蹙を買った。つまり、夜な夜なエラそうな顔をして何かを息子たちに語り、提示しつつ、休みには休みで山だの川だのに連れ出し、へたな飯ごうメシでも炊いてみせ、子供の部活にはしたり顔でビデオ指導する・・・そういう父親にはいい子が育つそうである。

子供にとって「良い親」とは。子供にとって「良い家庭」とは。「良いクラス」「良い友達のつくりかた」「良い塾の選び方」に「良い進学」「良い本」「良い音楽」「良い観劇」に「良い食べ物」。・・・おそらく探せば「子供に良い息のしかた」までどこかに書いてあるに違いない。昨今の親子は呼吸のしかたまで誰かの書いたマニュアルにしたがって生き延びなければならないのだ。ご苦労なことである。これら「子育てマニュアル」全盛の社会に、いくつかの次元(ディメンジョン)で反論を試みよう。

<第1:検証性として>このように市販されるマニュアルは、いわば個々のCaseを挙げて、それをもとに一般的命題~「話が上手な父親のところには良い子が育つ」、など~を述べているに過ぎない。それは「成功例」を挙げているのみであって、いわゆる科学的根拠などはない。それは、健康食品か民間療法と同じで、はっきりと科学的に検証されているものではない。「私はコレで、10kg痩せました」という広告と同レベルである。本当にその命題を検証するためには、子供たちを無作為にふたつのグループに分け、それぞれを「話のうまい」父親群と「話はそれほどうまくない」父親群とで、相互に独立にかつ他の一切の条件(母親のでき、家庭生活、勉強時間、栄養状態、教師の質、出合う本やメディア、経済状態、そのほか一切)を同じとして、一定期間育ててみて、各々の群の子供が「良い」かそうでないかを客観化できる尺度で持って評価してみなければならない。このような「真実にせまるための」科学論が、子育てにとってはいかにばかげているかは、論議するまでもないだろう。ならば、せめてそういうものによってすら評価もされていないようなマニュアルに、「効果がある」、などといったいどうして信じられるのか。

<第2:方法論として>よしんば、ここにある「やり方(マニュアル)」が、確かに明らかに誰か良い子を育てるのに成功したとしよう。しかしそれがほかならぬわが子にも当てはまると、どうしてそう素直に信じ込めるのであろうか。枚挙的帰納法という近代科学の基本となる発想は、もちろん古代からあったが、これを定式化したのはフランシス・ベーコンである。その考え方とは、できるだけ明らかな形式で経験を重ね、充分否定的なことを試みた上に構成される一般命題は真実とみなしうる、というものだ。近代科学、ひいてはこのマニュアルというものの存在の裏づけになっているのはまさにこの経験論的帰納法なのであり、前段で述べたばかばかしい検証方法というものも、実はこの発想による。しかし・・・いまや科学の世界でも、枚挙的帰納法だけで世界の真実は知れない、という考えのほうが一般的である(ゲーデル・ハイゼンベルグ・チューリングなどを参照)。つまり・・・たとえ100羽のカラスの観察方法が正しく「黒」という回答を持っていたとしても(第1の点を満足させていたとしても)、101羽めのカラスもまた黒い、という証拠にはならないのである。あなたの子供は白いカラスという、まことに個性的な子供かもしれないのだ。

<第3:言語意味論的に>あるいは、そのマニュアル(子育て方法)が、上記1、2をクリアし、本当にこの世の真実を伝えていたと仮定しよう。その本を読ませれば、そのように語りかければ、そのような絵や歌を聞かせれば、間違いなく「良い子」になる、というようなパーフェクトなマニュアルが存在するとしよう。しかし、それでも、である。それでは「それ」が「良い」子である、と、いったいどこの誰がどうやって評価するのか?。親にとって?、教師にとって?、国家にとって?。そう、かつての国民学校や兵舎は実にすぐれたマニュアルをもっており、みなを「良き天皇陛下の新兵」に育て上げた。そして、多くの若者が従容として爆弾を抱き敵艦船に自爆攻撃を行ったのである。ああ、そういえば、最近のとある宗教の原理主義者たちも、同じようにその宗派にとって良い子を育成するのに大成功しているようで、自爆テロがあとを絶たぬ。・・・・そんなのと子育てとを一緒にするな、といわれるか。では、そのように育てるのと世間的・教育産業的「良い子」を育てようとすることと、いったいどこがどう違っているのか説明して欲しいものだ。

<第4:実存的に>そうだ、この世に一般的な「良い子」などというものなど存在しないし、一般的に「良い方法」など在りはしないのだ。おそらくここに存在するのは「幸福に生きている子」・「人」かどうか、という内的基準のみである。そんなことは実は親や教師の、あるいは赤の他人の知ったことではない、といっても過言ではない。勉強をサボってみるマンガのあの極上の快感はどうか。仕事が残っているのについ座り込んでみてしまう映画、明日の仕事はほっといて、今眼の前にあるご馳走に酔いしれるこの幸福。どうしても見てみたかった建物・自然などを眼前にしたときの満足感・・・。この圧倒的な幸福感を前に、誰かが「それはお金の無駄遣い、もっと賢い生き方をしなさい、ホラ、このマニュアルにしたがって・・・」などといおうものなら、棒をもってきてゴーンっと・・・思うのは私だけか?。自分にとって、あるいは自分と親、自分と子たちを含めた「我々」が「良い」状態であるかどうかなど、他人に決められる筋合いのものではない。我が子が良い子かどうか、など、なぜ、こんな一編の雑誌の記者や教育評論家、政治家、役人などに決めてもらう必要があるのか。


子供というものは、はかりしれない「潜在力の塊」(L.M.モンゴリー)である。その人生も幸福も無限の可能性をもっている。マニュアルに従うというのは、それを予め少数の限られた経験によって打ち出された鋳型にはめ込もうとすることに他ならない。したがって、「良い子」に育てるために、唯一可能で有効な「マニュアル」とは、ただ1つである。すなわち・・・・・・「ありとあらゆる手引き取り説を捨てよ」!!。

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2007年12月13日

忘れられない子ども

臨床心理士・カウンセラーとして働いていると、忘れられない子ども、保護者に出会うことがある

その母とは学校で出会った

不登校の相談

少年が幼いときに、父と離婚した母は、生活のために日に夜をついで働いた。

その間、少年はスクスクと育った。
しかし中学入学と同時に、
母が留守がちの彼の家は、同級生たちの溜まり場となり、
やがて彼は金品をせびられるようになった。

少年は学校へ行けなくなっただけでなく
母の留守中に 家の扉を激しく叩く不良たちへの恐怖から
完全な引きこもりになってしまったという。

母は身寄りを頼って、私が関わる校区へ引越してきた。

少年は明るくなり、一学期は元気に学校へ通ったが、
夏休み明けから、また通学できなくなった。

母は言う
「息子は高校へ進学しないっていうんです」
私「?」
母「中学をでたら、すぐに働くって」

思わず胸が熱くなった
息子は 母の苦労を知っている
母が、辛い思いに耐えて、親族宅に自分をかくまってくれたのを、感謝している
でも、だからこそ早く働き、母を楽させたいのだ

なんて良い子なんだろう
今は不登校かもしれないけれど、
心根の優しい、感受性の鋭い、とても良い子

私の問いかけに
母は
「そうなんです。 働いたら、給料半分、おかんにあげるなって 言うんです。
お金のことより、高校へ行ってくれたら」

子の願い、母の望み
何とかこの母子が 元気になれるように支援していきたい

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2008年01月01日

ユニセフへの支援

最近、とても心に残ったこと

クリスマスに ユニセフから 
子どもの顔が大きく印字された封書が届いた

今までも、私や娘宛にネームシールの封書は届いていたが、
あれ? 息子の宛名?

よく読むと、彼がユニセフの毎月の支援会員になった 
その結果として、毎月の冊子。

思わず、胸が熱くなった!
と同時に子どもたちが幼かった日々が蘇った。


子どもたちが小学生の頃、
戦争体験者であり、また戦後、多くの国を旅した祖母(私の母)は、
生活の担い手である発展途上国の子どもたちを見て、
豊かな時代を生きる孫たちに感謝と思いやりの心を育てたいと思った。 

祖母は、フォスター・ペアレントプログラム:アジアやアフリカの貧しい地域の子どもたちの中から一人を選び、
フォスター・チャイルドとして、その子が学校へ行けるように支援するプログラムに応募した。

祖母は、毎月孫5人から500円ずつを預かり
残りを足して タイ北部の利発そうな少年をサポートすることになった。

こちらから お金とともにカードを贈るとあちらからも 毎月タイ語の絵や手紙が届いた。
プレゼントは、周囲のやっかみを買う場合があるらしく
手紙のみにするようにとの指示があった。

一ヶ月5000円は 地域では大金らしく
全額が子どもに渡るわけではなく、井戸になったり、
地域の産業振興にも使われるシステムだったようだ

援助は、その少年が卒業するまで続いた。

息子が進学した中学には、、
各クラスに、インド人のクラスメートの写真が掲げられていた。

親がハンセン病やエイズにより亡くなり、マザー・テレサの孤児の家に収攬された子どもたちのようだった。
クラスメートの写真は 子どもの成長とともにあり、
募金は高校卒業まで続けられた。

今、彼が自分の稼ぎの中から、ユニセフを支援する会員になったことを知り、
本当に良く育ってくれたと感じる

祖母や学校の先生方が、心を育ててくださったのだろう
そして彼自身が自分の心を育て、感謝と思いやりをもってくれること、を 何よりも嬉しいと思う。

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2008年01月19日

募金 その2

息子の通った中学は、各学年ごとに全員が何らかのボランティアをすることになっていた。

中1のとき、赤い羽根募金で街頭に立った彼は
疲れた、でもとても充実した顔で帰ってきた。

彼の手には、緑色の恐竜のぬいぐるみ
母(私)「?」
息子 「あのね、きっちりした身なりのお金持ちそうな人が募金をしてくれるわけじゃないんだよ。
知らん振りをして通り過ぎていく人が多いんだ。
でもね、今日、いかにも浮浪者みたいなおじさんがフラフラと近寄ってきて、
 『ちょっとで悪いね』と言って1000円札を入れてくれたんだ。」

息子の話によると、そのおじさんは
『少なくて悪いから、これもとっておいて』とぬいぐるみを手渡してくれたらしい。
UFOキャッチャーの景品に違いない、緑色のちょっとすっ呆けた 薄っすらと汚れた恐竜!

人形は彼の部屋のドアノブにぶら下がり、中学高校の日々を見つめ続けた。

母である私はといえば、その後、中学生や高校生が募金活動をしている前を
素通りできなくなった。

でも、一つの街角で募金しても、すぐ次の角にも子どもが立っているのは......(^-^;

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2008年03月27日

岡山衝動殺人に関して

このところ、衝撃的な悲しい出来事が続いている
無差別殺人、しかも偶然隣り合わせた人を
なぜこんなことが起こるのだろう?

マスコミで見聞しただけのことをコメントするのは 差し控えたいと思うし、
今までそうしてきた。
自分の目でみたこと、確認したことのみを 話してきた。

ただね、今回の場合、
茨城の件も、岡山の件も、やりきれなさ過ぎる。
特に岡山の件は この青年が幼少期に阪神淡路大震災に会い
転居を余儀なくされたと報道されたので余計に

事件を起こしてしまった人たちの心の中にある
破壊衝動、 
自分を消したい、人を殺せば、という発想法がとても気になる。
池田のときの宅間死刑囚も同じ言葉。

学校で ヤンチャな子どもと話したことがある
彼女は中学生にして、全てを経験していた
(こんな子どもは決して珍しくはないのだけれど
それだけでも 当初はひどく驚いたが)
お酒、タバコ、性、 家出

毎日面白おかしく暮らして、楽しく愉快に満足しているのだと
思っていた

彼女に心理の描画テストを2種類してもらった

びっくりした 
あまりにも自我像が 脆弱 彼女自身が自分を卑小なもの、
良きものと思っていないことが分かったから

教育の目的などと大上段に構える気はないし、
論ずるだけの能力があるとも思っていない
でも少なくとも 生きていくとき、フロイトが言ったように
働くこと、愛することは大事だと思う

他者への滅私的な愛もあるとは思うけれど
自分が一人前になり、しっかり大地に立てて、
はじめて責任をもって人を愛せるのでは

交流分析では  基本的構えとして
I am OK,You are OK を大事にする

自分を大事に受け止められない人は
他者を大事にすることも難しい

自尊感情が育っていくこと
掛け替えのない私とあなた

だから出会いを大切にしたい

学校で接する子どもや
病院や臨床現場でお目にかかる方々と
I am OK,You are OKの関係で
つながっていきたいと思う

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2008年06月14日

父親参観日

明日は父の日

この前後、学校では 土日参観が組まれます。
そして私は その折りの講演に 呼んでいただきくことが多いです。

今日も かつてご一緒した校長先生のお招きで、
神戸市西部の学校まで

本好き!発 心豊かなこどもへ  というタイトルで、

最初に 学校の『お話しの会』担当者が 保護者に 読み聞かせをしてくださいました。

そのあと、小学生の特性、
本の魅力と子どものこころの発達への影響などを話したのですが、

80名ほどの皆様、とても熱心に聴講くださいました

会が終わり、校長先生と体育館を後にしようとしたとき、
一人のお母様がスッと寄ってこられ

「とても良いお話しでした。ありがとうございました」と
手を差し出してくださいました。

こちらこそ、ありがとうございました(*^ー^*)

率直な感想、 握手、とっても嬉しかったです(*^ー^*)

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2008年09月19日

魔女と自転車で?

今の50代以上の女性には 総じて若く溌剌としている

知り合いに、団塊の世代 でも見た目、非常に若い女性がいる。

孫が5人、けれどけっしてお祖母さんとは呼ばせない。

『ママ・ママ』 それが彼女の呼び名

ある日 3歳児検診に付き添っていった


保健所では知的検査の意味も込め、
3歳児に聞く
「今日は誰と何で来ましたか?」

孫答えて
「魔女と自転車で」

彼女、我が孫に問題ありと思われたら困るととっさに判断し、
保健師さんに向かい
「はい、私、その魔女です」


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2009年11月21日

話・和・輪 講演会(*^_^*)

西宮市の某小学校で保護者と教職員参加の話・和・輪講演会
『子育て、ちょっぴりほっと語り合いませんか」を担当しました。

司会進行の先生から 以下の感想メールをいただきました。
嬉しかったので、

許可をいただき、一部引用させていただきますね。
K先生、良い会にお招きいただき、ありがとうございました

ここから引用

「お送りした後、学校に戻るとなんとPTA会長と副会長が校門で待っていて迎えてくださったのです。
「大変よかったので、一言お伝えしようと思って…と。
またPTAと学校ももっと一緒にお話したいですね。」と。

子どもや学校に対する温かいお気持ちに瞼が熱くなりました。
また頑張ろうと思いました。

今回、子どもたちにどんなふうに 接しているか
私自身も振り返る機会となりました。

挨拶、椅子の座りかた、語り方、顔を見て話す…
子ども一人ひとりを受け入れる気持ちになれていたかなと
反省しました。

そして グループになった方の楽しかったことを聞いていると
私まで幸せな気持ちになりました。」

引用ここまで


語り合い、心を寄せ合い、うなづき、ほほえみ合う
良いコミュニケーションは人を元気にしてくれます(^^)/

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2010年02月03日

あなたは人のために頭を下げられますか?

こんな仕事をしていると、たくさんの方に出会う。
しみじみと温かくなるときがある。最近、心に残った話

あるお母様との会話から。許可をいただき。

「人に好かれる良い息子なのだけれど、
朝、起きられなかった  結果、いつも遅刻

どんなに先生方が励まし、叱って下さっても、本人には危機感がない。
スポーツだけは 超一流。
毎日 部活の時間には間に合うように学校へ、そんな高校生活だった。

今まで何とか進級はこなしたけれど、いよいよ卒業の段になって、
ストップがかかった。

多くの先生方から 「こんな状態で卒業をさせるわけにはいかない」
「約束の時間に来られない、決められたことを守れないのでは、
社会人として やっていけない。
この学校の卒業生として 安心して送り出すわけにはいかない」

家庭の事情があり、母は朝、昼、場合によっては夜の仕事をこなしながら、
家族を支えてきた。

それでも学校の呼び出しに応じ、何度も何度も学校へ出向き
「この子は、今、放り出されたら、高校中退の身に甘んじ、
それ以上の努力が出来ない子になってしまうと思うのです。

この子が育っていくときに、家族内にトラブルがあり、
この子の健全な成長を妨げたかもしれず。

親バカと言われようが、過保護と言われようが
18歳までは親の責任と思っています。

この子のために、どうぞ何とか卒業させてやって下さい」と
頭を下げて回った。

学校では、何度も何度も話し合いが行われ、
この母に免じてと 何度かチャンスを与えられたが、
それでも、高校生の息子は相変わらずで、
先生方が設定した課題をズルズルと破り続けた。

担任が奔走してくれているのを 母は知っていたが、
息子の変化のなさに、母自身も、腹をくくり、
最後の通告を受けるために、母子で学校へ出向いた。

その日、部屋で待機していると、次々と先生方がやってきて、息子に苦言を呈した。
息子はふてくされ、姿勢が崩れ、
もう、どうでも良いとの空気を醸しだし、母は必死で耐えた。

最後に校長先生が部屋に入ってきて、
子どもに問うた。
「君は、今まで誰かのために、頭を下げたことがありますか?」
息子、きょとんとして、「いいえ」

校長「今回、君の卒業認定のことで、どれほどの人が 君のために、
走り回り、一生懸命頭を下げてくれたか、分かっていますか?」
と尋ねた。
今まで 他の先生方から 「ろくでもない奴や」などと散々叱り続けられていた息子は
穏やかな口調に 驚きながらも
「担任、部活顧問」など 次々と名前をあげていった。

すると校長は 「あなたは一番大事な人を忘れていますよ。今、横で
君のために、一生懸命頭を下げてくれている人です」

「あ、おかん」
校長は「今回、友達からも一緒に卒業させて欲しいとの嘆願書がたくさん届きました。
たくさんの友達も、君のために頭を下げてくれたのです。

私は、将来、君が誰かのために頭を下げられる人になると信じています。
そのために最後のチャンスをあげたいと思います。
明日から落とした単位すべてについて、補習を行います。
すべてをクリアしたら卒業を認めます。
君は、頑張ると約束出来ますか? 」

その頃には、息子の背筋が伸び、まっすぐな目で校長を見つめ
「はい」と頷いていた。

翌朝から、彼は朝一番に起き、一限目から最終6時間目まで彼だけのための
補習授業を受けに通っている。あまりに落とした単位が多いため、
みんなと同じ2月半ばではなく、3月に卒業はずれ込むけれど

今の彼をみていると大丈夫だと感じる。
一日、1時間でも休めば、卒業はパーになるけれど、
今までと表情も態度も違う。

卒業直前に大きく成長させていただいたことに感謝している」


常々、素晴らしい母と感じていたけれど、
学校も、 最後の最後で、子どもを大きく育ててくれていると感じる。

母の目にも涙が浮かんでいたが、
不覚にも 私ももらい泣きをしてしまった。


あなたは人のために 頭を下げられますか?


 


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2011年03月09日

胸がいっぱいになる便り(*^_^*)

こんな仕事をさせて貰っていると、1年に数回感激で胸が一杯になることがあります。

4年前まで 関わらせていただいた学校で、
2年間 サポートした少年の母からメールが届きました。

この方の坊やは中学の時、小児癌で生死を彷徨い、辛い抗癌治療を2年に渡り頑張られました。母はずっと、この少年を支えられたのです。

折々に便りを頂いていたので近況は把握していたのですが、
素晴らしいですね\(^o^)/

カウンセラー冥利につきます
♪───O(≧∇≦)O────♪


以下にいただいたメールを引用します。

***ここから***

ご無沙汰しています。
Nは3/1に皆勤で県立K高校を卒業することができました。 そして○○大医学部医学科に前期一般で合格しました。
300人中40人だったので、涙涙でした。
一番苦しい時に、心から支えてくださったこと、感謝しております。
ご報告まで。


死と隣り合わせの恐怖や不安でいっぱいの彼に、
<笑いは免疫力をあげるんだよ>、
<こうなったら良いね>、と <回復したときのたくさんの夢を持とうね>、
と伝えながら、
つらい抗癌治療を超えるために、呼吸法や漸進性弛緩法、自律訓練法を試すように
実習してもらいました。

素晴らしく聡明な少年で、それ以来、一切弱音を吐かなくなっただけでなく、
嘔吐しながらも 『僕は勉強するんだ』と院内学級に這ってでも出向き、
勉強していた 彼。

こんな少年を育てたお母様も素晴らしい!


彼が 実りのある大学生活を送ってくれることを祈っています。

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2013年03月31日

新しい旅立ちに向けて

春4月 桜の満開の下、近くの駅前通りへ

この駅周辺には4つの大学があり、駅前通りは通称キャンパス通りとも呼ばれているようです。

そのあたり、いかにも新入生らしい初々しい様子のお嬢さんとそのお母様らしいペアがとても目につきました。 

ほんの少し上気した顔を見合わせて相談しながらの買いもの。それぞれの手にたくさんの紙袋。
新しい生活へ向けて 期待と不安。

たくさんの素晴らしい出会いが待っていますように。
そしてかけがえのない時間を過ごされますように、

満開の桜も祝福するように柔らかな風を送っていました。


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新しい旅立ちに向けて

春4月 桜の満開の下、近くの駅前通りへ

この駅周辺には4つの大学があり、駅前通りは通称キャンパス通りとも呼ばれているようです。

そのあたり、いかにも新入生らしい初々しい様子のお嬢さんとそのお母様らしいペアがとても目につきました。 

ほんの少し上気顔を見合わせて相談しながらの買いもの。それぞれの手にたくさんの紙袋。
新しい生活へ向けて 期待と不安。

たくさんの素晴らしい出会いが待っていますように。
そしてかけがえのない時間を過ごされますように、

満開の桜も祝福するように柔らかな風を送っていました。


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