スクール・カウンセラー

2007年06月30日

私が一番!

子どもたちのご相談を受けていて
あるいは 保護者のご相談の中でも、
不登校やいじめや その他、たくさんの問題行動から、子どもたちが回復するとき、

「(この分野なら) 私が一番!」って いう言葉をよく耳にします。

プールが始まった時期
長らく休んでいた子が、 「今でも○○中では、僕が水泳は一番違うか?」
と登校への意欲を見せたり、

「将棋だけは負けへん」
あるいは
「本だけはたくさん読んでる」

自分が大丈夫と思える部分があるって とても大事なこと

学校へ行かないことは やはり普通から外れていて、
その外れているという部分で
子どもなりに大変な思いをしている
場合によっては傷ついているように感じます。

得意な分野があると 
そこを梃子にして(傷つき少なく)勝負に出られるように思う

思い返すと、
「僕は給食を食べるのが一番早い」
「休み時間に最初に運動場へ飛び出せる」
いろんなケースがありましたね(^-^)

どんなことでも良い!
その子、一人ひとりの良い特長を見つけてやりませんか!


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2007年07月12日

小さなお母さん

中学生のA子は 愛くるしい眼差しとすらりと伸びた手脚を持つ
運動神経抜群の少女だった。

過酷な家庭背景を背負ってはいたが、勉強も運動もけなげに頑張る
けれど時々一杯一杯になるようで、保健室の常連だった。

週1しか登校しないスクールカウンセラーの私にも 親和性を感じたのか、
放課後、よく相談室に入ってきた。

ある短縮授業の放課後、数人の女生徒が集まってパズルをしながら取り留めない
お喋りに花が咲き始めた。

「お昼は?」 と尋ねると
お弁当を持ってきている子、家に帰って、という子に交じって
「今日、何にも用意して来なかった」とA子が言った。

遠慮するA子ともう一人のために 昼食を用意した。

おにぎり、お寿司、そして近くのお惣菜屋さんで買い求めたおかず色々と
温かい飲み物

包みを開くと、子どもたちは歓声をあげて食べ始めた。
A子は 嬉しそうにおにぎりを一個取り、
「私、これ食べても良い?」と もう一人の友人、
お弁当を持ってきていた友達にも尋ねた。

おかずのお皿をA子のほうへ置くと、真ん中に移し、
「だってね、みんなが届かへんから」

本当に美味しそうに嬉しそうに食べた。 
そして必ず食べる前に、「これ、食べても良い?」と周りに尋ねた。

A子が 家の食卓で、どんな風に気を遣い、遠慮がちにお箸を伸ばしているのか、
目に浮かぶようだった。
自分より先に弟たちの食欲を満たすことを考えているのか、
時には母から叱責が飛ぶのかもしれなかった。

A子の鞄は驚くほど軽かった。
「家に勉強道具を持って帰っても、勉強させてもらえへんねん」
家では 兄弟の世話、家事が中学生のA子の肩にかかっているらしかった。
弟の勉強もみてやっていたようだった。


家庭背景が過酷なとき、時には反社会的言動につながる子どもがいる
でも 関わらせてもらった学校で、けなげに頑張る数人の
子どもたちにも出会った。

時には寂しさから道をそれることもあるけれど、けなげに勉強も運動も
そして家事全般、弟の世話も頑張る「小さなお母さん」

せめて、この子たちの未来が良いものになるように、
夢がかなうように、週1のSCとして一生懸命応援したいと思っている。

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2007年07月15日

ADHD?

「うちの子どもって ADなんとかでは?」
「ジャイアン・のび太症候群を読むと、全部当てはまるんです」などの ご相談を受けることがあります。

ADHD(Attention Deficit Hyperactivity Disorder) 注意欠陥多動障害って病態です。

ジャイアン・のび太のネーミングがあまりにフィットし、
子ども、特に子育てが思い通りにいかないお母様、お父様にとって、
子どもが病気であると診断されると非常に腑に落ちるため
一人歩きしているようですね。

医師によって 正式に診断されると、リタリンという薬を処方される場合もあります。
これが実は覚醒剤の一種。完全に毒をもって毒を制す

そういう私は 紛れもなく 注意欠陥人間!
さすがにこの年になると多動は なくなった?と思います。
身が重くなったので、軽快に動けなくなっただけかも(^ ^;

今でも、整理しても一日で机の上が満杯、 
昔は、母によく 姉が消しゴムを一つ使う間に、
私は3個くらい なくしたり、削ったり、無駄にして使ってしまうと叱られたものです。

でもその通り!
落し物はしょっちゅう

一番ひどかったのは、終業式に 成績票を見ながら帰っていて、
帰宅後、母から一言、学校から電話
通信簿を落としてきた!!!  通りすがりの方に拾われ、学校へ届けられていた

赤っ恥ものです。

最近も大学から電話
「先生、ノート お忘れではありませんか?」

研究室の助手さんのところへノートが届けられ、
「学生の忘れものだと思うから、そのまま教室に置いといて」と言ったところ、
学生が「どうも、先生のみたいなんです。 給与明細がはさんであったので」

ああ、恥ずかしい! 
学生に薄給を知られてしまった(^ ^;

予定を勘違いし、
間違った日に間違った場所へ出かけたこともたびたび...。

今はPDA(Palm)によるスケジュール管理と 大きなウォールポケット(1月~12月までのポケットつき)によって、ほとんどスケジュールの落としはなくなったと思っています(^ ^;
ここまで来るの、本当に大変でした。

さっき置いたもの、あるはずの物が一人歩き?、行方不明になり、
探し物で大事な時間がどんどん減っていくって、しょっちゅう!

周りにどんなことでも整理整頓、なんでもきっちりこなす人がいます。
ちょっとあれ貸して、って頼むとサッと出てくる人たち
いわゆるA型性格!

あのきっちりさ、正確無比は 驚嘆ものです。

悩める親御様方、 もう少しの辛抱です。
どうしても必要になると 子どもは工夫を始めます

こんな私でも 子どもを置き忘れることなく二人育て、
家事をそこそここなし、仕事もそれなり?にしているのですから、

あ、何の慰めにもならない(^-^)/~

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2007年12月13日

忘れられない子ども

臨床心理士・カウンセラーとして働いていると、忘れられない子ども、保護者に出会うことがある

その母とは学校で出会った

不登校の相談

少年が幼いときに、父と離婚した母は、生活のために日に夜をついで働いた。

その間、少年はスクスクと育った。
しかし中学入学と同時に、
母が留守がちの彼の家は、同級生たちの溜まり場となり、
やがて彼は金品をせびられるようになった。

少年は学校へ行けなくなっただけでなく
母の留守中に 家の扉を激しく叩く不良たちへの恐怖から
完全な引きこもりになってしまったという。

母は身寄りを頼って、私が関わる校区へ引越してきた。

少年は明るくなり、一学期は元気に学校へ通ったが、
夏休み明けから、また通学できなくなった。

母は言う
「息子は高校へ進学しないっていうんです」
私「?」
母「中学をでたら、すぐに働くって」

思わず胸が熱くなった
息子は 母の苦労を知っている
母が、辛い思いに耐えて、親族宅に自分をかくまってくれたのを、感謝している
でも、だからこそ早く働き、母を楽させたいのだ

なんて良い子なんだろう
今は不登校かもしれないけれど、
心根の優しい、感受性の鋭い、とても良い子

私の問いかけに
母は
「そうなんです。 働いたら、給料半分、おかんにあげるなって 言うんです。
お金のことより、高校へ行ってくれたら」

子の願い、母の望み
何とかこの母子が 元気になれるように支援していきたい

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2008年03月06日

傍らにいる存在としてのSC

神戸市教委の委員をいくつか兼務しています。
生徒指導という冊子への原稿依頼を受けました。
ここにもアップしてみますので、
もしよければ感想をお願いします。
約2300字です。

子ども、保護者、教職員とともに---傍らにいる存在としてのSC

学校は子どもが学び育つ場所。
発展途上の子どもは、学びの場で仲間と共に身体を鍛え、頭脳を鍛え、精神力、道徳観、倫理観、感性、そして世界観を涵養する。
万葉集の大伴家持の和歌「銀も 黄金も玉も なにせむに 優れる宝 子にしかめやも」 を引くまでもなく、日本文化は子どもを大切に慈しんできた。
また資源のない我が国にとって人こそが財産、勤勉性が日本人の誇るべき資質、
学校はその最前線を担ってきた。

しかし学校は社会の縮図でもある。
都市化、少子化、大衆消費文化、ITに象徴される情報化、景気などの様々な影響を受ける。
活用できれば宝庫だが、危険な落とし穴も開いている。
だからこそ子どもに善悪を見分ける目と、自立、自律(セルフコントロール)の力をつけなければならない。

歩き始めた子どもが、つまずいたりこけたりしながら、上手に走るようになるように、学び舎の子どもたちは、時には間違いを犯すし、失敗もする。エネルギーの塊の子どもたちは特に大きくこける。

子どもの問題はご家庭がよく機能すれば大半が片付く。
そして学校が適切に関われれば、マイナスの出来事でさえ成長につながる場合が多い。
ただ高機能なパソコンも時々フリーズするように、専門家の助けが必要となる場合もある。
こじれた問題を整理し、良い方向への道筋を探り、手立てを講じること、スクールカウンセラー(以下SCと略す)の主たる任務はこの微調整につきる。裏方の仕事。

教育の場が良く機能していくために、静謐な秩序が必要。
しかし不祥事が起こるたびにマスコミは全体の資質の問題のように書き立てる。
学校の権威は地に落ち、教育の場が混乱する。子どもや親が尊敬しなくなった学校はもろい。

学校の緊急支援に何度か関わったことがある。
ある若い教員が起こした犯罪は想像を超え、関係者は呆然自失、学校機能は麻痺した。
管理職と教育委員会から請われた私は、教職員研修と保護者説明会の場に立ち会った。
子どもたちが受けたであろう心的外傷や考えうる反応の説明をした後、以下のように続けた。
「子どもたちは自分の大事な先生が犯した出来事にひどくショックを受けています。
保護者の皆様も驚き、学校への不信を抱えていらっしゃることでしょう。
どんなことでも承ります。どうぞ遠慮なくお伝え下さい。
ただ、今の緊急課題は大人不信に陥っているかもしれない子どもたちをどう支えるかです。
起こってしまったことをなかったことにしたり、蓋をすることは出来ません。
でも物事が起こったときは動くときです。良くも悪くも変わります。どうせなら良く変わらせたい。
人間不信、大人不信に陥っているかもしれない子どもたちに、信用できる大人もいると分かってもらうこと、そして学びの場としての学校の機能を速やかに回復させることです。
充実した楽しい時間は、子どもたちを回復させます。
そのためにご家庭の協力が欠かせません。
学校ではSCや他の専門家も協力し、必要な手立てを講じていきます。
ご家庭でもそれぞれの子どもをよく観察し支えてやってください。
学校も頑張りますので、ご家庭の協力をよろしくお願いします。」
当初、当惑気味に集まっておられた保護者の視線が集まり、SCとしての私の言葉に何度もうなずき、
次第に姿勢がまっすぐになってきたと感じられた。
1年後校長先生から、この後、保護者や地域の方から援助の申し出があいつぎ、
自発的な見回り隊も組織され、速やかな回復が図れたとうかがった。

 しんどい地域のSCをしたことがある。
不在がちな親、用意されていない食事、さびしい子どもは仲間を求めて夜の街を彷徨い、
誘惑に負ける。
鑑別所や少年院に収容された子どもたちがいた。
卒業を前に先生が生徒を貰い受けてこられた。
「こいつの母校はここしかない。卒業式に出してやりたい」

 卒業式の前日、その一人と出会った。
「卒業、おめでとう」と声をかけた私に、彼はぼそりと
「先生、俺、ほんまに卒業するのかな?」
びっくりして尋ねた「明日、卒業式でしょう?」
すると、彼は「あのな、毎日、毎日、面白おかしく過ごしてた。
こんな日々がずっと続くと思ってた。でも卒業式って言われた。
俺、まだ中学生らしいこと、何もしていない。」

SC「じゃあ、何がしたいの?」
彼「普通の中学生のような生活がしたいねん。勉強や部活。クラスの友達とも遊びたいねん」
思わず、胸が熱くなった。
鑑別所で規則正しい生活、三度の食事をきっちり食べさせてもらった彼は、体調がよくなるとともに、朝、起床できることに気づいた。
学校生活が送れる自信がついたという。
 こんな素晴らしい話をSCの口から伝えるのはもったいない。彼に
「担任はすごく喜んでくださると思うよ。自分で言える?」
と尋ねると、笑顔でうなずいた。
後に聞いたところでは、全寮制の高校へ進学が決まったという。

子どもは未来からの贈り物。
私たちの将来の健全な社会はこの子達の肩にかかっている。 
学校の主人公は子ども、そして大切な構成員は教職員、それにご家庭。
伸びていく子どもにとって、教師は目の前にいる大事な大人である。

優れた出会いは後々の糧になる。
吉田松陰が松下村塾で教えたのは約2年。明治維新を支えた志士が輩出した。
クラーク博士が札幌農学校に在籍したのは半年。
Boys be ambitious! の薫陶を受け多くの若者が世界に雄飛した。

卒業式の時期、多くの子どもたちがその日々を懐かしみ、そして感謝の言葉とともに巣立っていく。
子どもにとって学校は母校、そして母港である。
そこには先生がたの温かい笑顔がある。 

SCは学校現場において傍らにいるものに過ぎない。
異分子の存在。
けれどもいつも子どもたちへの眼差しを注ぎながら、微調整の役割をやり遂げたいと思う。


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2008年06月14日

父親参観日

明日は父の日

この前後、学校では 土日参観が組まれます。
そして私は その折りの講演に 呼んでいただきくことが多いです。

今日も かつてご一緒した校長先生のお招きで、
神戸市西部の学校まで

本好き!発 心豊かなこどもへ  というタイトルで、

最初に 学校の『お話しの会』担当者が 保護者に 読み聞かせをしてくださいました。

そのあと、小学生の特性、
本の魅力と子どものこころの発達への影響などを話したのですが、

80名ほどの皆様、とても熱心に聴講くださいました

会が終わり、校長先生と体育館を後にしようとしたとき、
一人のお母様がスッと寄ってこられ

「とても良いお話しでした。ありがとうございました」と
手を差し出してくださいました。

こちらこそ、ありがとうございました(*^ー^*)

率直な感想、 握手、とっても嬉しかったです(*^ー^*)

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2008年08月02日

小児がんからの生還

学校でカウンセラーをしていると いろんな子どもや保護者に出会います。

そして学校を離れた後も、お便りをいただくことがあります。
SC冥利!

昨日、7年間過ごし。1年半前に任務を離れた学校の保護者から、メールを頂きました
許可をいただき、転載してみます。
毎日新聞7月16日号
http://mainichi.jp/photo/news/20080716k0000m040135000c.html


写真の右から二人目、飯田君(高1)は勉強も運動も一生懸命がんばる
質の良い少年でした。

彼のお母様から 急に連絡をいただいたのは
今から3年ほど前、彼が中1の10月ごろ、

横紋筋肉腫と診断され、
長期入院、厳しい抗癌治療が開始された頃でした。

あまりの事態の深刻さ、過酷さに、お母様のお話をうかがうしか出来なかったのですが、

お母様とは、何とか協力して、この病を超えていこう、
辛い思いをするなら、これも彼の成長の糧となるように、
辛い体験を通して心を耕せるように ご一緒にがんばりましょう
と話し合いまいた。

そして お母様は 本当に良く支えられました。。

お話を聞くしか出来なかった私ですが、
「痛みへの対処として、ストレスマネジメント技法があるけれど
彼にそれをお教えしても良いでしょうか」と尋ねると、
お母様は「是非に」とおっしゃいました。


治療初期、外泊してきた彼のお家にうかがい、ストレスマネジメント技法
呼吸法や 筋弛緩法、自律訓練法、
そして笑いの効用の話をさせてもらいました。

たった一度の話でしたが、
澄んだ瞳で しっかりと耳を傾けてくれました。

その後、彼は入院した病棟で
抗癌治療で抜け毛や吐き気、体を起こすのさえやっとのときでも、
這ってでも院内学級へ通い、しっかり勉強し、
自身も死への恐怖があったでしょうに
不安に脅える仲間を励まし、
果敢に笑顔で 病気に立ち向かいました。

結果、一年と数ヶ月後に退院、リハビリ期間を経て、見事に復学
高校進学を果たしました。

本当に立派な青年です。
この記事を読み、万感の思いに満たされました。

そして困難なとき、どんなにか心細くなられたでしょうに
彼をずっと支え続けられたご家族、特にお母様に感嘆しきりです。

彼は きっときっと 素敵な小児科医になってくれることでしょう。


以下にお母様が送ってくださった 記事の彼に関する部分のみ
抜粋して載せます。

ご興味をお持ちの方は
生きる2008 小児癌征圧キャンペーンをお読みください

*****引用ここから******


生きる:小児がん征圧キャンペーン 森山良子with FRIENDS--東京・渋谷
 ◇2000人、歌を力に--15日・Bunkamuraオーチャードホール(東京都渋谷区)
 聴衆約2000人に贈る、支援の歌声。東京都渋谷区のBunkamuraオーチャードホールで、15日夜開かれたチャリティーコンサート「生きる2008~小児がんなど病気と闘う子供たちとともに~森山良子 with FRIENDS」(主催・毎日新聞社)。歌手の森山良子さんを中心に集まった演奏家による息の合ったステージに、闘病中の子供たちも心を弾ませた。皇后さまも趣旨に賛同して出席、会場の子供たちに手を振り、笑顔で励まされた。【鈴木梢】
 「がんを克服した子供たちが学生や社会人になっています。後遺症に悩む人も多いので、社会に出た時は温かく迎えてくださいね」
 午後6時半開演。ドレス姿で舞台に上った森山さんは、優しく語りかけた。小児がんは15歳以下で発症するがん。専門医によると、毎年約2500人が発症するが、約7割が治るようになった。しかし、社会での小児がんへの無理解は解消されておらず、偏見に苦しむ患者も多いのが実情という。
 森山さんは「闘病中の子供たちや病気を克服した人たちがもっと住みよい社会にできるよう、音楽を通してみなさんと考えていけたらと思います」とステージから何度も訴えた。
 今年は森山さんの呼びかけで、テノール歌手の秋川雅史さん、ギタリストの押尾コータローさん、バイオリニストの葉加瀬太郎さんが加わった。コンサートでは、出演者が患者や家族と交流する場面が見られた。
 ◇あこがれのギター、最前列で心に刻む
 押尾さんの大ファンという神戸市東灘区の高校1年、飯田典之さん(16)は中学1年の時、横紋筋肉腫と診断された。水泳の練習中、「おなかが硬い」と感じたが、「筋肉が付いているのだろう」と考えていた。高熱が続き入院したが原因は分からず、転院先での検査で腹部に約2キロもの腫瘍(しゅよう)が見つかった。バスケットボール部に所属するなどスポーツ万能だっただけに、命も危ぶまれるとの告知に耳を疑ったという。
 1年以上続けた厳しい抗がん剤治療。持ち前の明るさでくじけなかった。「腫瘍を取っておなかが軽くなったから、速く泳げるようになったんじゃないかな」と家族を笑わせた。元気に高校に通う現在は、ギターに夢中。押尾さんの楽曲を練習するうち、手のつめがすり減るほどだ。
 会場の最前列で身を乗り出し、押尾さんの指先の動きに目を見張る。「1人で弾いているのに、いろいろな音を織り交ぜ、とても表現が豊か」と押尾さんの技法にあこがれを抱いてきた。
 ステージの最後、押尾さんは両手の親指を突き上げ、飯田さんに「頑張れよ」とサインを送った。飯田さんの口をついて出た感動の言葉は「生きててよかった」。夢は小児科医になることだ。「かなえたい夢があるなら、実現させた姿を夜、本当の夢で見るぐらいに願い続けなければならない」という押尾さんのメッセージを深く心に刻んだ。

2008年11月13日

保護者との出会い

今、scとして担当しているある中学校は非常に伝統のある学校。
卒業生には各方面で活躍している錚錚たるメンバーが。

この地域のお母様方はとても熱心。
昨日午後も PTAのミニ学習会を担当させていただいた。
25人のお母様が集まられた。

保護者が今、感じていらっしゃる子どもたちの問題、
対応に苦慮する点、どのように関わることで 学校と
そこで過ごす子どもたちが良い方向に育っていくか
話し合いの中でいろんなトピックが出る

一部の保護者は今までもトイレをきれいに!と
花を生け、絵を飾り、子どもたちと顔を合わせると 
笑顔で挨拶をしてくださっていた。

今日からは、朝の挨拶(立ち番)だけでなく、学校や子ども達を見守るために
休み時間、授業時間さえ入って下さるとか

本当に保護者の熱意には頭が下がる


特に昨日は転校していく ある少年に
彼の級友のお母様がいろんな話をしてくださった。
苦言もあったが、その子を思う、温かい思いが伝わってきた。
転校生の母はずっと「ありがたい」と泣いておられた。


遠くに離れていっても、この地を良い場所として覚えて居て欲しい。

でもね、
話を聞きながらも、ずっと携帯をいじるのよね。
今時の少年は.....

当予防医学心理学研究室(兵庫県神戸市)は、
個人カウンセリングやメンタルヘルスセミナー講師:
企業のメンタルヘルスケア、特定保健指導、メタボ撃退 
リバウンド知らずのダイエット、やせる心理学担当の臨床心理士 
笑顔の絶えない癒し系 岡嵜順子と
warm heart 乳幼児から高齢者まで対応の
音楽療法士・臨床心理士の後藤浩子が活動しております

2008年11月22日

素晴らしい出会いに感謝!  私学連合新任教員研修

心理屋なので、講演・研修依頼をいただくことは多い。

職場単位の研修で、義務や強制参加の場合、
受講者がイヤイヤ参加されていることも多く、
それでも終わった後に、「良かった」、「得るところがあった」と
思っていただけるよう一生懸命努力する。
そして温かい感想をいただくと、こちらも良かったと思う。

リピート依頼を受けると、
良かったと思っていただけたのだとホッとする。

昨日、担当させていただいた 
兵庫県私学連合会小学校教職員新人研修会もその一つ!
2年前にに続き、今年も依頼をいただいた。

兵庫県の私学小学校は9校、全小学校中1.1% 人数的にも1.1%
雲雀丘、関学、小林聖心、百合、仁川、甲南、海星、須磨浦、愛徳
参加者29名、校長先生4名 事務局2名

「新人」となっているけれど、
研修期間は3年間だそうで、年間4回、その最後が昨日。
タイトルは『子どもの心を理解し、健やかに成長させるために』
サブタイトル <子どもと保護者とより良い関係をつくるために>

大半の受講生とは初めてお目にかかるのだけれど、、
5人の方が2回目、
話題はなるべくかぶらないように、話したつもりなのだけれど、
皆さん、とっても熱心に耳を傾けてくださる。
一語一句を聞き漏らさないように、メモをとり、
問いに答え、笑顔を見せ、そして深くうなづく。

穏やかな ゆったりした時間が流れ、話しながら、私も満たされた気持ちになる。
実は私自身が兵庫県の私学小・中・高校の卒業生。
12年間同じ坂を上った。
だから私学の良さも 抱えている問題も分かる。
今回の依頼は、ある種のご恩返しとも感じている。

研修後、「教員になって」との振り返りの話し合いの時間にも、
交流の懇親会の時間にも参加。

その中で、ほとんどの教員から
『教育とは飽きない仕事』『注げば注ぐほど、返ってくる』『成長が楽しみ』など
肯定的な感想がたくさん聞かれた。

また、研修に関しては、
「たくさん学べた」、「即、使えることを教えていただいた」
『講座の内容だけでなく、進め方そのものが
授業組み立ての参考になった』など、
非常に好意的な感想。

『今回のご案内をいただいた時、岡嵜先生の名前を見て、
飛び上がりました。 また研修を受けられてとても嬉しい』と
言って下さる先生もあり、大変嬉しかった。

私も担当させていただき、良い出会いに感謝です。
私学連合の皆様、特に事務局のI先生、
大変豊かな時間をありがとうございました。

平成18年度担当の受講生感想文は 
ユーザーの声に一部を上げさせていただきました。


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2011年03月09日

胸がいっぱいになる便り(*^_^*)

こんな仕事をさせて貰っていると、1年に数回感激で胸が一杯になることがあります。

4年前まで 関わらせていただいた学校で、
2年間 サポートした少年の母からメールが届きました。

この方の坊やは中学の時、小児癌で生死を彷徨い、辛い抗癌治療を2年に渡り頑張られました。母はずっと、この少年を支えられたのです。

折々に便りを頂いていたので近況は把握していたのですが、
素晴らしいですね\(^o^)/

カウンセラー冥利につきます
♪───O(≧∇≦)O────♪


以下にいただいたメールを引用します。

***ここから***

ご無沙汰しています。
Nは3/1に皆勤で県立K高校を卒業することができました。 そして○○大医学部医学科に前期一般で合格しました。
300人中40人だったので、涙涙でした。
一番苦しい時に、心から支えてくださったこと、感謝しております。
ご報告まで。


死と隣り合わせの恐怖や不安でいっぱいの彼に、
<笑いは免疫力をあげるんだよ>、
<こうなったら良いね>、と <回復したときのたくさんの夢を持とうね>、
と伝えながら、
つらい抗癌治療を超えるために、呼吸法や漸進性弛緩法、自律訓練法を試すように
実習してもらいました。

素晴らしく聡明な少年で、それ以来、一切弱音を吐かなくなっただけでなく、
嘔吐しながらも 『僕は勉強するんだ』と院内学級に這ってでも出向き、
勉強していた 彼。

こんな少年を育てたお母様も素晴らしい!


彼が 実りのある大学生活を送ってくれることを祈っています。

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2011年03月10日

ビジョン!  リーダーの決断

今、日本を取り巻く現況は 厚い雲に覆われている感があるのは、
私だけだろうか?

春 3月 卒業のとき、
関わっている中学でも 卒業式を迎える。

身体も心も大きく育った 子どもたちの姿。

この学校は 初めて入った4年前、名門のはずなのに、なぜかざらっとした嫌な感触があった。
子どもが挨拶をしない。校舎のなかに砂と埃。歩きながら唾を吐く子。

いやな予感が どんどんふくれあがり、
クラスが、学校が、どんどん荒れていく現場に立ち会うことになってしまった。

無法地帯に近い状態になり、
最後には、教室のドアも蹴破られ 冷たい空気が教室へ入り込むようになった。

大人しい子どもたちが困った顔をして、
『先生の言っていることが聞こえない』『教室が怖い』『行きたくない』と訴え始めた。

とうとう、「こんな学校に子どもは預けられない」と 転校を申し出る保護者まで出てきた。

どこから手を打って良いのか、おろおろしている私の横で、
校長も苦渋の表情を浮かべていたが、ある日、的確に手を打ち始めた。

それは校内美化。
校舎の改築工事が終わったとたんに、きれいになった校舎は下足禁止となった。

その後、矢継ぎ早に、ペンキの塗り替え、外壁にハンギングフラワー
学校にいくたびに、何かた新しくなり、何かがきれいになっていた。

メンバーも替わった。
大幅な人員入れ替え。
魅力的な教員 子どもを引きつける授業をできる人を集めてくる。

校長にとって学校改善3種の神器。
授業、部活、学級経営

徹底した校内美化、 質の良い教師の導入、 子どもに徹底して規律を守らせる。 
しかもそのすべてを 子どもの中から生み出させるように、
生徒会の組織化

保護者を巻き込み、校内美化
そして挨拶運動。 

ある日、タクシーの運転手である保護者が 帰宅後、
「もうU中は大丈夫だよ。 父さんが夜遅くに流しているとき、
校舎の廊下に人影がして、右へ左へ移動しているから、何をしているんだろうと
目をこらすと
校長と生徒指導担当が 廊下をモップで掃除していた。
それから通るとき、気をつけてみていると、ほぼ毎晩毎晩!」

そして5月、職員室にきている子どもの表情をみたとき、
ああ、U中はもう大丈夫!と確信した。

素直なはにかみと 先生を信頼しきった笑顔
大人に対して安心しきった表情の 子どもがいた!

学校でも会社でも、社会でも崩れるのは、一瞬! 立て直すのは大変。

でも、こんなに見事に立て直した学校を体験したのは、初めて。

丸々3年かかったけれど、今は見事な中学。
子どもたちが 笑顔で行き交い、爽やかな空気が満ちている。

リーダーは ビジョンが必要。

あなたは この学校を、この会社をどの方向へ向けていきたいですか?
数年後に学校、あなたの会社がどの方向を目指せば良いと考えますか?
その具体的手立ては?


卒業式を迎え、
一番、味わえるのは、一番 頑張った人

この春 退職される校長が、一番 卒業式を味わっていらっしゃると感じる。

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2011年05月24日

石巻へ

5月9日から 文科省、宮城県そして 日本心理臨床学会 東日本大震災支援センターの共同事業として、開始された スクールカウンセラー派遣事業の第一陣として、
石巻へ入りました。

また詳細は ゆっくり記していきたいと思っています。

まだまだ 石巻では 鎮魂と祈りの時間が流れています。

2013年03月11日

震災から2年

震災から2年の月日が流れました。

あのとき出会った方々は 今、どんな風に過ごしていらっしゃるのでしょう。

5月初旬の石巻で、
いろいろ語ってくださった あの先生たちは
涙を流しながら親友のことを語ってくれたあの子は

そして 幼い子を抱きしめながら 夫の死を悼めなかったことを

ああ、まだ 実感していないのですね
と一粒の涙を流した人は

緊張のさなか
避難所からの通勤・通学
それぞれが 控えめな真剣な目をしていたあの方々。

その後も石巻 仙台 福島へ何度か行かせていただきました。

心が戻っていく場所です。

「先生はね、傷ついた石巻しか、知らないでしょう?
本当はとってもきれいな街だったの。
またきれいになった石巻を訪ねてきてください」

いつか約束を果たすために、また訪れたいと思っています。

心に残る人たちに会うために。

2013年05月14日

神戸市スクールカウンセラー スーパーバイザー開始

昨日、青少年補導センターにて神戸市スクールカウンセラーのスーパーバイザーの仕事開始。

緊急派遣は、既に4月から始まっていたのだけれど、デイリールーティンの仕事は初日。
ここは神戸大学付属病院のすぐ南。 今、甥っ子が病院内科で働いています。

ここは適応指導教室併設なので、不登校の子どもたちとも触れ合えます。 午前中は不登校生の間をウロウロ。
午後、 相談は別件ではあったのだけれど、ほぼ8年前に関わらせて頂いた お母様 その当時 中3だった少女(今は素敵なお姉さん)がやってきて下さいました。 お顔を見ると思い出しますね。
背がすっかり伸びて165cmとのこと、。 でもあの当時の可憐で可愛い印象もそのまま。 母が『この子はとってもたくましくなりました。 頼りにしています』とのこと。
彼女、すっかり課題を克服して、 今じゃ大学院生。

  子どもの成長って ほんと 素晴らしい(*^_^*)  伸びていく子どもに関わらせて頂くのって
ありがたいことですね(*^_^*)

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